Interview 02:
ウェルビーイング班代表
柴田悠(しばた・はるか)

人が幸せに生きられる社会とはどのような社会なのか、という問いを社会学者として研究してきた柴田悠さんに、生涯学プロジェクトが立ち上がったことで可能になった日本初の大規模調査とその意義について伺いました。

<記事公開日> 2021.10.7

柴田さんはどのようなご研究をされてきたのでしょうか?

学生のころから、自分自身や身近な人々の抱えている生きづらさを実感するにつれ、それはいったいどこから来ているのか、どうしたら軽減できるのかを研究したいと思っていました。そのために社会的な要因を調べようと、社会学の分野に入りました。  

裏返して言うなら、「人々が生きやすい(=ウェルビーイングの高い)社会」とはどんな社会なのかを探る研究です。

さまざまなテーマで研究をしてきましたが、たとえば今は、「幼少期に保育所や幼稚園に通ったこと、つまり保育・幼児教育という公的サポートを受けたことが成人後のウェルビーイングにどんな影響を与えているか」を研究しています。

ただし日本には、そうした長期の影響を見ることができる追跡調査のデータがありません。欧米では1980年代前後から大規模な追跡調査が行われ、データが蓄積されてきましたが、日本では2001年から厚労省が始めたのが最初で、20歳までのデータしかありません。

そこで、生涯学プロジェクトで私は、幼少期から現在までの経験を詳しく質問する、日本で初めての大規模調査を行うことにしました。成人の人々に、生まれ育った家庭の状況や幼少期から現在までのさまざまな経験について答えてもらう調査です。すでに予備調査としてweb調査を行い、全国20~69歳の2万人から回答を得て、分析を進めています。

生涯学プロジェクトでは「ウェルビーイング班」の代表もお務めですが、この班ではどのような研究をしているのでしょうか?

幼少期以降に経験した「家庭や地域の状況」や「公的サポート(保育・教育・職業訓練・介護など)」と、現在の本人の生活状況やウェルビーイングがどう関係するか、を見ています。

私は主に「幼少期(とくに0~2歳)に受けた公的サポート(保育・幼児教育)」の効果を研究していますが、班のメンバーには、家族や友人、地域などからの「私的サポート」や、「現在受けている公的サポート」に注目している人もいます。

保育・幼児教育の効果についていえば、欧米の先行研究では、「社会経済的に不利な家庭(以後、「不利家庭」)に生まれた子どもは、幼少期に保育所や幼稚園に通うと、その後の教育達成や所得が高くなる」という傾向が男女ともに確認されています。

では日本ではどうでしょうか。今回の予備調査のデータを分析したところ、男性では欧米と同様の傾向が見られましたが、女性では見られませんでした。

そのかわりに、日本の不利家庭出身の女性では、「他者の不安によって自分の気持ちが乱されにくいという心理特性」が、有利家庭出身の女性と同じくらいに強くなっていました。先行研究では、「この特性が強い人ほど幸福感が高い」ということが知られています。

つまり、日本の女性では、保育・幼児教育によって、社会経済地位の面ではなく心理特性の面で、「生まれの格差」が縮小されていたのです。これは、先行研究では見られなかった新たな知見になりうると考えています。

また、「幼少期に親から虐待を受けると、将来自分が親になったときに子に虐待をしてしまう確率が高まる」という「虐待の連鎖」は大きな社会課題です。こうした連鎖はどのようなサポートによって減らすことができるのか。これも日本の調査研究ではまだ明らかになっていないため、今回のweb調査のデータをいま、班のメンバーが分析しています。

ほかの班とのコラボレーションはどのように進められていますか?

私たちの班が「幼少期から高齢初期までの経験とウェルビーイング」を研究するのに対し、同じ社会学分野の筒井淳也さんの班は「高齢期の社会参加」について研究しています。この2つの班で、人の生涯の全体をカバーする形ですね。

また、fMRIによって脳機能を調べている月浦崇さん(https://www.lifelong-sci.jinkan.kyoto-u.ac.jp/interview01-tsukiura/)の研究には、とくに刺激を受けています。

さきほど、日本の不利家庭出身の女性では、保育・幼児教育によって「他者の不安に惑わされにくい心理特性」が強まった、という私たちの班の知見を紹介しました。実はこの心理特性についての質問項目を今回の予備調査に入れたのは、「生涯学」プロジェクトで月浦さんたちの研究を知ったことがきっかけでした。

月浦さんたちは、成人の脳において「『他者の不安に惑わされにくい心理特性』が幸福感を高めるメカニズム」を担っている脳機能ネットワークを初めて発見しました(参考ページ)。

「不利家庭の子どもが保育・幼児教育を受けると、感情制御などの社会情緒的能力が高まる」ということは先行研究で知られていましたが、成人後の社会情緒的能力への影響は、「犯罪行動」や「健康的行動」などの行動レベルでしか確認されておらず、心理レベルでの影響ははっきりしていなかったのです。

今回、月浦さんたちの研究から刺激を受けて、この心理特性の質問項目を予備調査に入れることで、私たちの班は新たな知見を得ることができました。「生涯学」での学際交流の成果の一つといえるでしょう。

「生涯学」プロジェクト全体の目的には、どのように貢献していかれるのでしょうか?

「発達・加齢観の刷新」が本プロジェクトの目的ですが、その目的を達成するには、「幼少期からの経験や受けたサポートが、その後の生涯に長期的にどのような影響を与えるのか」を明らかにすることが欠かせません。私たちの班はまさにその解明によって、「生涯学」領域に貢献したいと考えています。

またそれが解明できれば、「不利な家庭に生まれた人々に対して、どんなタイミングでどんな公的サポートや私的サポートを提供すれば、その不利を軽減できるか」といった実践的なヒントを得られるでしょう。私たちの班の研究がそんな形で、人々の生きづらさを和らげるのに役立てば、と願っています。

<プロフィール>

柴田悠(しばた・はるか) 京都大学大学院人間・環境学研究科 准教授

東京都出身。京都大学総合人間学部から大学院人間・環境学研究科に進み、2011年博士号取得。就労支援政策が自殺率を減らす効果や、保育政策が社会や個々人に与える効果についての分析を重ねてきた。2017年、社会政策学会学会賞受賞。著書に『子育て支援が日本を救う──政策効果の統計分析』(勁草書房)、『子育て支援と経済成長』(朝日新書)など。同志社大学准教授、立命館大学准教授を経て現職。

<取材日>
取材日 2021.7.21
取材・構成:江口絵理
撮影:楠本涼