Interview 04:
社会教育班代表
石井山竜平(いしいやま・りゅうへい)

生涯学プロジェクトの社会教育班は、研究成果を社会実装するための窓口という役割をもっています。代表を務める石井山竜平さんに、その役割や、班としての研究テーマ、東北を拠点とする意味について伺いました。

<記事公開日> 2022.3.11

生涯学の考え方や知見を社会実装するために、この班はどのようなことをするのでしょうか。

まずは、私が東北大学で担当している「社会教育主事講習」に、生涯学代表の月浦先生から生涯学のコンセプトを話していただく機会や、社会学や文化人類学など各領域の代表の方から、どのような研究をされているのか、直接にお話しいただく機会を組み込むことから始めています。

社会教育主事とは、上記の講習を受けた人が任用される専門職で、主に自治体の教育委員会で社会教育・生涯教育の計画策定や、公民館や図書館などの施設の条件整備を担う立場の人です。つまり、その地域の社会教育のあり方に大きな影響を与える人たちなのです。その方々と生涯学の知見を共有することが、社会実装の入り口になると考えています。

ただ、講義で研究を紹介しただけでは実装にはなかなかつながりませんので、今後は、現場でどの知見をどのように応用できるかを考え合うワークショップを開催するなど、プログラム上の工夫を凝らしていこうと思っています。

ところで、「社会教育」と「生涯学習」とは同じものでしょうか、別のものでしょうか。

学校教育制度は、国や社会、地域ごとに、様々に個性はありながらも、ある程度、定型の枠組みを共有していますよね。一方
で、それ以外のところで組み立てられている教育・学習のありようは、国や社会に応じてあまりにも多彩であり、呼称も多様です。日本では「社会教育」という表現が使われて久しいのですが、国際的には、学校教育(Formal education)制度と対比させた、Non-formal educationとの呼称などが一般的です。そうした整理に学べば、直接的に学歴に結びつかない教育・学習の総称、と理解してもいいかもしれません。

私自身は中学生・高校生のころからずっと、上の世代が若い世代を鋳型にはめこむようにして知識を教える学校教育への違和感がありました。しかしその一方で、「人が学ぶこと」そのものについては強い関心があり、それが社会教育学を志した理由です。

「生涯学習」とは、人が学齢期に限ることなく生涯にわたって学び続ける機会を提供することを意味する点では社会教育と重なるはずですが、社会教育の研究者の多くは、この言葉を看板に掲げた1980年代後半以降の日本の生涯学習政策をかなり批判的にとらえてきました。

というのも、この「生涯学習」という旗のもとで、それまで公が担ってきた社会教育の重要な役割を縮小して民間に委ねるなど、社会教育を大きく劣化させかねない政策が強力に推し進められたからです。しかし今日では、国の生涯学習政策そのものが下火になっています。

生涯学プロジェクトにおける社会教育班は、この約30年間の生涯学習政策の功罪を、かつては対立的で、直接的な論争の機会さえなかった立場と立場の交流をもしかけながら、検証しています。次なる生涯学習政策を展望するには、過去をただ批判的に検証するのみならず、成果にも目を向ける必要があるでしょう。

あるいは、国の政策とは別に、それぞれの自治体、あるいは地域には、住民主導で互いのくらしの質を高め合うための共同学習実践は無数に存在します。そうしたものをつぶさに拾い上げ、分析することが、私自身のライフワークでもあります。

そして、それらから見出される教訓を今後の社会教育・生涯学習政策に生かしていくことが、私たち社会教育班が今、目指していることです。

社会実装の窓口役を果たすのとは別に、「班」としての研究テーマがあるということですね。

はい。そして社会教育班にはもう一つ、研究テーマがあります。日本、中国、韓国、台湾における生涯教育政策や実践の比較・検証です。

これら東アジアの国と地域は、儒教文化圏としてさまざまな価値観を共有してきました。また、不幸な歴史ながら、日本の植民地化政策のもとで、中国、台湾、韓国の教育制度は日本のそれに大きな影響を受けて発達したことで、いまなお共通点を多く持っています。

日本を始め、東アジアでは多かれ少なかれ、教育が「国家のための、社会のための人材育成」「下の世代は上の世代に従うべし」という価値観のもとで設計されており、社会教育もまた、そうした「秩序」を維持させていくための装置として機能してきた側面もあります。そのような古いくびきを超える社会教育をいかに構築していくか。私たちは、国や地域をまたいで協働しながら考え、実践例を共有したいと思っています。

とはいえ現在、この4つの国・地域のそれぞれの関係性は非常に危ういバランスの上にあることはご存じの通りです。それぞれの歴史認識や国家観に踏み込んだとたんにさまざまなレベルのトラブルに巻き込まれかねない火種を多く抱えています。一口に「国や地域をまたいで研究交流を」と言っても簡単ではありません。

しかしだからこそ、政府レベルの関係性に左右されない生身の研究者同士の交流が必要だと私は考えています。生涯学が問うているのは、「長い生涯をどう生きるか」です。人間という生命体が、昔より長くなった生涯をいきいきと過ごす、その前提に不可欠なのは、平和です。

私たちの班では、しばしば難しい関係に陥りがちな東アジアの隣国同士が平和に共存できるよう、共同研究を通して平和構築をめざす、という意識があります。コロナ禍の影響で中国、韓国、台湾の研究者とのリアルな交流は困難をきわめていますが、諦めずに続けていこうと話し合っています。

石井山さんは各領域を率いる代表者の中で唯一、東北を拠点とされていますね。領域代表の月浦さんは、東北の研究者にぜひ加わっていただきたかったと語っていました。

東北は東日本大震災を経験しています。とてつもなく大きな喪失体験を経て、今があります。震災後の復興において、国や大企業主導の復興計画によって地元の人の生活や思いがないがしろにされた不幸な事例もありますが、一方で、地域の人々が連帯して学習を積み重ね、自分たちの暮らしを守った例や新たなコミュニティを築き上げた例もたくさんあります。

そのような、連帯しながら地域を再生させていこうとする学習には、公教育制度の中で展開されている教育・学習とは、質の異なる切実さと展開があります。私はそこに「学ぶということ」の本質を感じています。よりよく生きようと、人々が学ぶ姿を東北から発信し、生涯学の知見に縒り合わせていきたいと思っています。

<プロフィール>

石井山竜平(いしいやま・りゅうへい) 東北大学教育学研究科・准教授

広島県生まれ。九州大学教育学部助手、静岡大学教育学部講師、助教授を経て2005年より現職。日本の社会教育政策を対象にした研究とともに、東日本大震災後の東北に注目し、地域に根差した集団的な学習活動の調査・報告を続けている。編著に『東日本大震災と社会教育─3・11後の世界にむきあう学習を拓く』(国土社)。日本公民館学会副会長、日本社会教育学会理事。

<取材日>
取材日 2021.11.19
取材・構成:江口絵理
撮影:桂嶋啓子