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Interview 05:
臨床心理班代表
松井三枝(まつい・みえ

臨床心理班は、加齢や疾患によって低下した認知機能を改善する方法やメカニズムについて研究を行なっています。その成果はいずれ、健常な人の認知低下予防にも示唆をもたらすかもしれません。代表の松井三枝さんにお話を伺いました。

<記事公開日> 2022.5.24

心理学の研究・教育のかたわら、大学病院の精神科で外来も受け持っていらっしゃったそうですね。

むしろ、私の出発点は臨床なんです。患者さんと接する現場で生まれてくる疑問、たとえばどうしてこのような問題が起こるのかを知りたい、とか、この問題をなんとか解決できないかという疑問から研究し、その成果を患者さんの役に立てたいという思いで研究しています。

心理学の中で特に軸足をおいている領域はありますか。

神経心理学が専門です。神経心理学とは脳とこころの関係を解明しようとする領域で、私はとりわけ「脳画像」と「認知機能(記憶や注意など)」の関係を見ることを専門としています。脳画像では形態(構造)だけでなく、機能も見ます。

また、もともと関心を持っていたのは統合失調症でした。ただ最初の勤務先が大学病院だったこともあって、統合失調症だけでなく、認知症や脳卒中などによる高次脳機能障害など、さまざまな疾患の患者さんと接するようになり、関心の範囲が広がっていきました。

なぜ最初に統合失調症に注目されたのですか?

統合失調症はおよそ100人に1人が発症するとされる、実は身近な疾患なのです。しかも、およそ8割は思春期から30代といった若い時期に発症します。統合失調症では妄想や幻覚が現れ、意欲の減退や感情の平板化、記憶力や注意力などの認知機能の低下なども起こります。

妄想や幻覚には薬物療法である程度対応できますが、記憶力や注意力などの認知機能を十分に改善する薬は存在しません。若くして発症した多くの患者さんは、その後に長い人生があるにもかかわらず社会復帰が難しいという状況が長く続いていました。

ならば心理学的アプローチで認知機能の回復を図れないものかと思っていたところ、2005年ごろ、欧米で使われ始めた「認知リハビリテーション」(以下「認知リハ」)の存在を知りました。

統合失調症の患者さんは健忘症の患者さんとは異なり、まったく物事を思い出せないわけではありません。覚え方の簡単なコツ(たとえば多くの要素を一度に記憶したいときは、前から順にではなく、カテゴリに分けて覚える、など)をこちらが明確に指示すると、わりあいうまく覚えられたりします。

こうした患者さん特有の認知のしかたをふまえて、認知機能の回復・維持のための訓練をするのが「認知リハビリテーション」です。これだ、と思いました。

そこから私は、日本で認知リハの存在を知ってもらうために第一人者による解説書を翻訳したり、どのような学習なら認知機能改善の可能性があるかを分析する、といった認知リハの基礎的な研究にも取り組み始めました。

外来で私が担当する患者さんに認知リハを行なったところ、認知機能にはたしかに改善が見られました。さらに、改善された方の多くは、集中的なリハビリを終えて半年後にあらためて検査をしても認知機能のレベルが維持されていることが確認できました。

病そのものを取り除くことはできなくても、心理学的なリハビリによってその患者さんの人生が変わりますね。

医学の進歩によって、これまでだったら助からなかった、あるいは長生きは難しかった疾患でも助かることが増えてきました。統合失調症では、華々しい妄想や幻覚は薬である程度抑えられます。 しかし、このことは一方で、病や障害を抱えた状態でその後の長い人生をどう生きていくか、という別の課題も生みます。医療は、単に命を助けるための治療だけではなく、患者さんの生涯全体にかかわるものになってきている。医療とはすなわち「生涯学」だ、というのが私の実感です。

この「生涯学」プロジェクトが生まれる前から、生涯学を実践していらしたのですね。ところで、認知リハはほとんどの患者さんで効果が出るのでしょうか?

まず、リハを「続けられる人」と「続かない人」がいます。どうも、リハを始める段階で違いが生まれているように思われます。こちらが同じようにできるだけ丁寧に説明しても、理解して続けられる人と理解できず続けられない人がいるのです。

そうした個人差はどこから生まれるのか、という疑問を抱いていて目についたのが、認知症の領域で使われる「認知予備力」という概念でした。

認知症の臨床では、脳には病理学的に認知症の所見があるにもかかわらず、病初期には、大きな問題もなく生活している方が一定数見られます。それは、その人の「認知予備力」が高かったために、認知症による認知機能の低下をカバーできているからではないかと言われています。

認知予備力とは、その人が認知症になる前までに蓄積してきた能力のことです。当然ながら、その人が受けてきた教育、やってきた仕事、余暇活動の種類や期間、頻度、強度などによって個人差が出てきます。

この認知予備力という概念は統合失調症の臨床にも応用できるのではないか、と私は考えました。もしかしたら、認知予備力が高い人は統合失調症の予後がいいかもしれない。もし認知予備力を測ることができれば、その患者さんの予後を予測することもできるのではないか。

まず必要なのは、認知予備力を測る道具です。欧米で使われてきた調査法があるので、いま、私はその日本版を標準化する作業をしています。

もし認知予備力が測れ、認知予備力が高いほど統合失調症や高次脳機能障害の発症が抑制されたり、軽症で済んだりすることがわかれば、健常な人が、そうした病を予防するためにはどのような生活をすればいいかを知ることもできるでしょう。

まさに「長くなった人生をどうよりよく生きるか」に資する研究になりますね。

統合失調症の領域から出てきた「認知リハ」、認知症の領域で使われてきた「認知予備力」という考え方は、それぞれの分野の中だけでなく、脳損傷による高次脳機能障害や健常な人の発症予防などさまざまな方面に応用できるでしょう。この「生涯学」という大きなプロジェクトで成果を出すことが、他の分野や臨床現場への波及につながると期待しています。

また、私自身が統合失調症と高次脳機能障害の両方と関わってきたことで発見があったように、「生涯学」の中でも、心理学と社会学や文化人類学をまたがることで見えてくるものもあるのではと思っています。

<プロフィール>

松井三枝(まつい・みえ) 金沢大学国際基幹教育院 教授

富山県出身。富山医科薬科大学医学部助手、ペンシルバニア大学客員研究員、富山医科薬科大学(2005年より富山大学に統合)医学部助教授・准教授を経て2016年より現職。認知機能障害を持つ患者の診療や検査に携わるとともに、脳画像を活用した認知機能の研究や認知機能改善に関する研究を行っている。編著に『精神科臨床とリカバリー支援のための認知リハビリテーション――統合失調症を中心に』(誠信書房)など。

<取材日>
取材日 2022.4.7
取材・構成:江口絵理
撮影:中西優