Interview 03:
技能発達班代表
金子守恵(かねこ・もりえ)

アフリカやアジアなど世界各地でフィールドワークを重ねてきた研究者が集まる技能発達班。代表を務める金子守恵さんに、文化人類学的な研究が生涯学プロジェクトにどのような役割を果たすのか伺いました。

<記事公開日> 2021.11.25

技能発達班は、研究対象とする国のバリエーションが豊かですね。

「国」というよりは「村」や「町」でフィールドワーク(現地調査)に取り組んでいる人が多いのです。わかりやすく国名で言うと、韓国、インドネシア、エチオピア、ケニア、タンザニア、ギニアなどアジア・アフリカの各地を対象にしています。生涯学プロジェクトの文化人類学分野には技能発達班とヒトモノ班の2班があって、ヒトモノ班のメンバーは主に日本やオセアニアで調査を行なっています。

技能発達班では主に職人や音楽家など、なんらかの身体的な技能をもつ人々の行動を観察することで、人々が加齢をどのようにとらえているか、どのように自分の身体とつきあっているかを分析・考察していこうとしています。私自身はエチオピアで土器職人を対象としたフィールドワークに取り組んできました。

金子さんの研究をより具体的に教えていただけますか。

私が調査している村では、どの家でも驚くほど数多くの土器を所有し、調理の際に使い分けています。その土器を作っている職人はすべて女性で、土器職人の家に生まれた女の子はみな職人になります。不思議なことに、母親は娘に作り方を積極的に指示するといった教え方をしません。少女たちは、共通の成形段階を経て土器を製作すると同時に、幼い時から一人で試行錯誤して、彼女たちが述べる「自分の手」に合わせた手順を編み出していきます。

彼女たちの技術や考え方において、何が新しく生み出され、何がどう継承されているのか。そうした技術や考え方はいったいどういう仕組みで作り出されているのかを明らかにしたいと思って研究を進めてきました。

筋力や反射神経は加齢とともに衰えるものの代表ですが、同じく身体の動きでも、職人などの技能はむしろ、経験の蓄積によって上がっていくと言われます。「加齢=衰退」という生涯観を覆す事例を提示するのがこの班の役割でしょうか?

加齢にまつわる多様な価値観を世界中から集めてきて提示することで、日本で主流の生涯観を相対化する、という貢献はできると思います。ただ私は、「加齢=衰退」という生涯観に「加齢=(知識や経験の)蓄積」という生涯観を対比させるだけだと、文化人類学としてはあまり新たな発見がないようにも思っているんです。

年長者ほど経験や知識が蓄積されていくために敬意を払われたり、社会的に重要な役割を担っている、というモデルは、これまでにも数多く報告されてきました。「長老制」などはその一例といっていいでしょう。

ただ、「加齢=衰退」と「加齢=(知識や経験の)蓄積」はどちらも、加齢を軸にしてネガティブとポジティブを反転させただけですよね。私の調査地では、年配で経験値が高く、技術も高いはずの土器職人に「こういう土器がほしいのだけれど」と頼むと、「私には作ることはできない。○○さんのところへ行きなさい」と当人より年下の職人を勧められることがあります。つまり評価軸が、年齢を重ねたことによる技術の高さではない。

加齢が強く関わりそうな動作(身体技法)であっても、年齢や就業年数が評価軸とならない人々の生活文化やそれを支える考え方がある、ということを提示するのも、技能発達班のできることではないかなと思っています。

よく、儒教の影響が強い韓国では年長者を敬う文化があり、アメリカでは若さに大きな価値が置かれる、などと聞きますが、そのどちらかではなく、必ずしも年齢にとらわれない文化を見せるということですか?

そうですね。ただ、文化人類学に対して「この国の人はこうで、あの国の人はこう」という知見を期待したい気持ちはよく理解できるのですが、実は文化人類学的な研究にたずさわる者として一番抵抗を感じるのは、「この国はこうだ」というような過度の一般化なんです。

国という大きな単位に限りません。私が見ている地域に何か特徴的な価値観や習慣が見えてきたとしても、それは、世界の人が同じように同時代的に経験している変化の影響を受けて出てきたものかもしれないし、あるいはその地域やその人の属性に共通のものではなくて個人的な違いかもしれない。「エチオピアではこうだ」とか「こうなるのは女性だからだ」とは言えないことも多いんです。

とはいえ、すべてを「人それぞれであって、地域や国で一般化できない」と言ってしまうと、「人間の加齢」という抽象化したテーマをもつこのプロジェクトでは他の分野との対話や連携が難しくなるような気もしますが……。

ざっくりとした印象による一般化は避けたいですが、同じ地域で暮らし、環境や時代を共有していることで人々の考え方や生活の仕方になんらかの傾向性が出てくることはあると思っています。それを、フィールドワークで観察した事実によって語ることはできると思います。

たとえば、私のフィールドでは寝たきりの高齢者は皆無で、それは事実です。もちろん誰もが加齢とともに体力などが減退してくるのですが、どうやりくりして生きていくかというと、その高齢者の子ではなく、孫が同居を始めます。そのとき、孫が一方的に自分の生活を犠牲にして高齢者の世話をするのではなく、お互いがお互いのできることを補いながら生活する。

老いてしまったら「何もできない人」になるのではなく、家族でそれぞれができることを持ち寄りながら生きていく。そうした「老いとのつきあいかた」の多様さをフィールドワークから報告できるのではないかと思っています。

文化人類学は仮説を設定してそれを検証する学問ではなく、フィールドワークが出発点で、「なぜこの人たちはこういうことをするんだろう?」「なぜこう考えるんだろう?」という問いに対して仮説を推論しながら検証していくというアプローチをとります。

もしかしたらそこが、この領域のほかの研究班との大きな違いかもしれません。仮説検証型の研究をされている方々と議論をかみあわせるには、まずは共通の基盤をつくるところから始める必要があるだろうと思っています。

高齢者を対象とした医学的な研究では、高齢者の状態を「運動能力」「認知能力」「社会性」などに分けて評価するので、その枠組みを参考にした簡易の調査票とフィールドワークを組み合わせるような調査方法を確立できないか検討しています。生涯学向けにアレンジして技術発達班の各フィールドで調査してみよう、といった試みを始めています。まだまだ、これからですが。

<プロフィール>

金子守恵(かねこ・もりえ) 京都大学アフリカ地域研究資料センター/京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・准教授

北海道出身。アフリカ、エチオピアで土器つくりの技法の伝承と学習について、とくに身体技法に着目して調査研究を進めてきた。地域の資源を用いた製品製作など実践的な活動にも従事しつつ、技術の導入や村人によるそれらの受容の仕方を検討したり、それらの技法や知識を共有したり再配分するグループの形成過程にも注目してフィールドワークを行なっている。京都大学人間・環境学研究科助教を経て、2016年より現職。著書に『土器つくりの民族誌―エチオピア女性職人の地縁技術』(昭和堂)。

<取材日>
取材日 2021.10.25
取材・構成:江口絵理
撮影:楠本涼